創建は奈良時代以前と伝えられており、『延喜式神名帳』に「大里郡一座髙城神社」と記載されていることからもそのことがうかがわれる。
天正十八年(1590)豊臣秀吉による小田原の北条征伐において、忍城(現・行田市)が攻められた際、髙城神社も災禍に遭い社殿を焼失した。その後の寛文十一年(1671)に再建されるのだが、それは忍城主であった阿部豊後守忠秋が「髙城神社は式内社」であることから社殿再興を図ったことがきっかけであった。この時に再建された本殿と拝殿は、今も当時の面影そのままに残されている。(なお本殿・拝殿・手水舎以外の建物は昭和二十年八月十四日の熊谷大空襲によって焼失)
天正十八年(1590)豊臣秀吉による小田原の北条征伐において、忍城(現・行田市)が攻められた際、髙城神社も災禍に遭い社殿を焼失した。その後の寛文十一年(1671)に再建されるのだが、それは忍城主であった阿部豊後守忠秋が「髙城神社は式内社」であることから社殿再興を図ったことがきっかけであった。この時に再建された本殿と拝殿は、今も当時の面影そのままに残されている。(なお本殿・拝殿・手水舎以外の建物は昭和二十年八月十四日の熊谷大空襲によって焼失)